私は何故働く(勤める)のか。
おはようございます。
初夏の爽やかな朝です🍀
早速ですが、表題の件、私は何故働くのか?について考察したいと思います(硬
※ちなみにここでいう働く=会社に勤務する、という定義にしています。
※あくまでワタクシゴトです(基本このブログ全部そう)
今週から本格的な職場復帰が始まりました。
我が家は幸い、区の認可保育園に0歳クラスで入園出来たので(Tipsはまた改めて)
4月入園だと4月中に復帰しなければならないのです。が、
4月は挨拶回りで終わり、GWを挟んで、実働は今週からだったのです。
早起きして、朝の支度(時間と段取りとの勝負)を済ませ、
バタバタと家を出て、ラッシュを経て、
山手線が止まったりしながら…
汗だくで会社に辿り付き、
[朝のラッシュの駅。3日で慣れた、日本人の血の怖さよ]
ふと、こどもの顔を思い浮かべながら
自分が働くこと。について確認した一週間でした。
自分の人生は一回きりです。
他人の人生を生きることは出来ません。
一言で言うとこれ↑です。
折角この世に生を受けて、色んなチャンスを得て、ここまで来て、
有限の自分の人生を、自分の望むように生きたい、と思うのは
みんな一緒だと思うんですけど
その中で熱中して、情熱を傾けて、本気になれる時間。
それは多い方が有意義なものになるんじゃないかなと思うのです。
そこで難しいのが、子育て、なんですけど
私の場合は、人に熱中しすぎると
・理想を押し付ける
・過度の期待を持ってしまう
・コントロールしたくなる
のですよね。
自分が元々理想像に向かってガリガリやってくタイプなので
それを他人に押し付けたくなる。
特に子供にそれは避けたいな、と。
なので
【自己実現】
の軸をきちんと保持しつつ
子どもといえども「血のつながった他人」を慈しむ。
そのバランスが最適なんじゃないかなあと今は考えています。
子どもは愛おしいです。それは言葉に出来ないほどに。
究極、別に今死んでもいいや、と思うようにもなりました。
それはある意味子どもという、自分の分身をこの世に残せたこと。
それだけで自分が生まれてきた実感が湧いてきたのである。
育休の1年間はそれはプレシャスなものでした。
けど子どもの顔を見ていて、親として、大人として、
頑張らなきゃなぁと思ったのも、復帰の理由の一つです。
まあ、小難しいことは正直考えておらず←
「ワガママに生きろ」。
人様に迷惑をかけずに、というおごりはありません。
人様の協力も得ながら。。
恩返しをミッションとしながら。。
楽しく、有意義に、自分の人生を生きる。
やれるうちにやりたいことをやる。
それが復帰のモチベーションです。
改めて、家族、友人、職場、
周囲の理解と協力に感謝。
[抱っこのうちはリュックが効率的よやっぱ(休み中に慣れてしまったというのもアル…]
徒然と書きましたね。笑
ちゃーお!